わいわいニュース

芸能、社会ネタを中心に、時事問題で楽しんでいただけるレビューサイトを目指します。 美術など趣味の話題や、芸能人も参加するパーティーや海外でのアクティビティ等も、ご紹介して参ります。

    2019年11月

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    賞より実力の人と思います。
    発言も際どいので公には評価しづらい面もあるかと思われます。

    1 muffin ★ :2019/11/30(土) 20:05:19.51

    https://friday.kodansha.co.jp/article/81980
    2019年11月29日


    アニメファンに限らずエンタメに少しでも関心があれば、「富野由悠季」の名前を知らない人はいないだろう。『機動戦士ガンダム』をはじめとするいくつもの「ガンダム」シリーズや、『海のトリトン』、『伝説巨神イデオン』など数々の傑作アニメを世に送り出してきた。

    しかしその業績は高畑勲や宮﨑駿、あるいはもっと若い世代の原恵一(『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』ほか)、細田守(『サマーウォーズ』ほか)といった監督と較べても十分評価されてきたと言い難い。これだけ名前が知られる富野由悠季だが、かたちとなった評価は展覧会に限らず驚くほど少ない。

    たとえば映画賞である。近年は、世界の映画祭、あるいは米国アカデミー賞といったアワードで日本のアニメ作品がたびたびノミネーションされる。受賞することも少なくない。

    宮﨑駿はベルリン国際映画祭(『千と千尋の神隠し』)、アヌシー国際アニメーション映画祭(『紅の豚』)でグランプリ、米国アカデミー賞長編アニメーション賞(『千と千尋の神隠し』)、同・名誉賞、ヴェネツィア国際映画祭栄誉賞……。さらに国内映画賞の受賞は数え切れない。

    原恵一はアヌシー国際映画祭での3度の受賞をはじめ、毎日映画コンクール、文化庁メディア芸術祭など、こちらも受賞数を把握するのが大変なぐらいだ。直近では細田守が『未来のミライ』でアニー賞を受賞、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞にノミネートされた。

    ところが富野由悠季は、映画祭の受賞とは無縁だ。海外だけでなく、日本アカデミー賞や毎日映画コンクール、文化庁メディア芸術祭など、国内の主要な映画賞のアニメ部門にも作品や名前を見ることがない。その圧倒的な知名度の高さを考えると、「無冠の巨匠」と言っていいだろう。

    全文はソースでご覧ください


    (出典 amd.c.yimg.jp)


    【【アニメ】無冠の巨匠・富野由悠季「ガンダムの生みの親」の評価が低い理由】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック


    (出典 dot.asahi.com)


    未練タラタラでしょうね。

    1 砂漠のマスカレード ★ :2019/11/27(水) 19:45:37 ID:kukzF07p9.net

    11月13日に「資産3000億」ともいわれるZOZOTOWN創業者・前澤友作氏との破局が判明した剛力彩芽。
    18年4月に交際が発覚して以降、両者はSNSを通じて「セレブ熱愛」を頻繁にアピール。前澤氏のプライベートジェットでロシアワールドカップを訪れたほか、パリコレクションにも出没。
    剛力はセリーヌのショーを「最前列鑑賞」したと報告していたものだ。

    現在は前澤氏と暮らしていたマンションを出て実家で暮らしているという剛力だが──。

    彼女の近況についてテレビ関係者が語る。

    「破局が決まった際、彼女は長かった髪をバッサリ切って心機一転を図りました。今後の女優活動にも意欲を見せていて、来年放送の連ドラにも出演が内定しているそうですよ」

    今後の活動に期待が集まる彼女だが、同関係者は「それでも剛力は『前澤社長に未練残りまくり』ともっぱらのウワサですね」と明*のだ。

    「破局報道の後、一部週刊誌で『剛力が親友の深田恭子に泣きながら相談した』との記事も出ていましたが、実際、剛力は簡単に前澤氏を忘れることができていない。
    その『証拠』ともいうべき彼女の行動が見て取れるんですよ」(前出・テレビ関係者)

    どのような行動なのか。

    「現在も剛力は前澤氏のSNSに『いいね!』を付けまくっているんです。『ヨリを戻したい気持ちの現れでは?』と見る声も出ています」(前出・テレビ関係者)

    はたして剛力の真意は。

    http://dailynewsonline.jp/article/2094133/
    2019.11.27 17:58 アサ芸プラス


    【【芸能】剛力彩芽、急浮上した「前澤社長に未練残りまくり説」の“証拠”行動!】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    夫婦でテレビから干されるなんて。。フジモンは関係無いのに。。

    1 マロン派 ★ :2019/11/29(金) 21:09:26.80 ID:+ksG9lmy9.net

    木下優樹菜 “恫喝DM騒動”で夫・フジモンへの飛び火が深刻
    東スポWeb 11/29(金) 17:13配信

    “共演”も多かった夫婦だけにフジモン(右)への影響もハンパではない。左は木下

    (出典 lpt.c.yimg.jp)


    タレントの木下優樹菜(31)が、実姉が働いていたタピオカ店に恫喝めいたダイレクトメッセージ(DM)を送った、いわゆる“恫喝DM騒動”により、夫のお笑いタレント・藤本敏史(48)が厳しい立場に追いやられている。騒動発覚から活動休止発表まで約1か月間のタイムラグがあったのだが、多くのメディアでこの問題が一切報じられなかったその間は、本当につらい立場だった。

    象徴的だったのは、今月初めの「27時間テレビ」(フジテレビ系)に出演した時だ。藤本の姿を見た爆笑問題の太田光が何かを言いたそうにしていたところ、明石家さんまがすぐさま「言うたらあかんねん」と制止。太田は「どうして分かるんですか」と引き下がった。

    芸人なのにネタにもできない――なんとも微妙な空気に、藤本は「すみませんでした」と謝るしかなかった。

    木下が活動休止を発表したことで、ようやくこの話題を取り上げることが“解禁”となった。

    ダウンタウンの松本人志は24日放送の「ワイドナショー」(フジ系)で「フジモンは(メディアで)取り扱われるようになって、どこかホッとしてるところもあると思うんですよ。今まで触れるに触れられなかった」と後輩をおもんぱかった。

    松本の言う通り、藤本はホッとした部分もあったのだろう。30日放送の関西ローカル番組「特盛!よしもと 今田・八光のおしゃべりジャングル」(読売テレビ)で、「すみません。ホンマにご迷惑をおかけして…」と神妙な面持ちの藤本は、木下について「反省の日々」などと明かしている。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191129-00000034-tospoweb-ent


    【【芸能】木下優樹菜 タピオカ店“恫喝DM騒動”で夫・フジモンへの飛び火が深刻】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック


    (出典 hochi.news)


    ほとんど見なくなった。芸能界って本当に生き残るのが大変。。

    1 鉄チーズ烏 ★ :2019/11/30(土) 06:37:08.82

    昨年3月の『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)終了以降、コンビそろってのレギュラー番組が『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)のみとなっている『ナインティナイン』。さらに、メディアで活躍するのは岡村隆史ばかりと、矢部浩之の芸能活動が危機的状況に陥っている。

    現在、「ぐるナイ」が唯一のコンビレギュラー番組となっている2人だが、同番組は看板コーナーである「グルメチキンレース ゴチになります!」の放送がほとんど。しかし、同コーナーを〝クビ〟になった矢部は、VTR出演やかぶり物で飲食店に数分登場することしかなく、コンビそろって出演するような場面はほとんど見られていない。

    個々の活動でいうと、岡村はローカル局を含めて4つのMC番組を持ち、矢部も『やべっちFC』(テレビ朝日系)、『アウト×デラックス』(フジテレビ系)などでMCを担当。また、最近の岡村は俳優業に力を注いでおり、11月22日には堤真一とのダブル主演映画『決算!忠臣蔵』が公開、来年からは大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK)にも出演するなど、既に2人には互いにピン芸人のような状態になっている。

    個人活動の増加で無能さが露呈した矢部
    『ウッチャンナンチャン』や『とんねるず』のように、大御所になったお笑いコンビが個々の活動に走るのはよくあること。しかし「ナイナイ」はこのままの場合、岡村がタレントとして1人勝ちとなり、一方の矢部は消滅状態に陥っていきそうだという…。

    「『めちゃイケ』終了により『ナイナイ』が事実上コンビでの仕事を失ったのは事実。個々の活動に移行するのも必然的な流れですが、ピンでの活動となると、当然ながら地力の差がハッキリと現れます。岡村は『おかべろ』や『チコちゃんに叱られる!』などの人気番組MCを務める他、映画主演や大河出演も果たし、マルチな才能を発揮中。一方の矢部は趣味のサッカーを生かした『やべっちFC』がマッチしているくらいで、『アウト×デラックス』はMCとしての無能さが露呈するあまり、後輩の山里亮太にその座を奪われてしまっています。思えば5年前、コンビでやっていたラジオ『オールナイトニッポン』も岡村ピンの番組に変わりましたし、もはや矢部が〝業界需要ナシ〟であることは明白になってきているでしょう」(お笑いライター)

    岡村のおかげでカバーできていたものの、ピンでの活動によりその〝力不足〟が露呈してしまった矢部。もともと、岡村の影に隠れて〝じゃない方芸人〟のような扱いを受けていたことを考えれば、こうなるのは時間の問題だったのかもしれない。

    http://dailynewsonline.jp/article/2096916/
    2019.11.29 17:30 まいじつ

    ★1が立った日時:2019/11/29(金) 21:11:10.21

    前スレ
    【芸能】『ナイナイ』矢部がテレビ消滅危機!? ピン仕事で岡村との格差クッキリ!
    http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1575029470/


    【【芸能】『ナイナイ』矢部がテレビ消滅危機!? ピン仕事で岡村との格差クッキリ! ★2】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック


    (出典 shirewata.com)


    ご冥福をお祈りいたします。

    1 幻の右 ★ :2019/11/29(金) 17:07:01.55


    (出典 www3.nhk.or.jp)


    「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄の民営化や日米安全保障体制の強化などに取り組んだ、中曽根康弘元総理大臣が亡くなりました。
    101歳でした。

    中曽根元総理大臣は、大正7年に群馬県高崎市で生まれ、昭和16年に旧東京帝国大学を卒業し、当時の内務省に入ったあと太平洋戦争を経験しました。
    そして昭和22年の衆議院選挙で、旧群馬3区に当時の民主党から立候補して初当選し、その後自民党の結成に参加して20回連続で当選しました。
    この間、昭和34年に第2次岸改造内閣の科学技術庁長官として初入閣し、防衛庁長官、運輸大臣、通産大臣のほか、自民党の幹事長や総務会長などを務めました。
    また改進党に所属していた当時、被爆国の日本でも原子力発電に向けた研究開発が不可欠だとして、原子力関係の予算案の提出を主導したことでも知られました。
    中曽根氏は当時の佐藤栄作総理大臣の長期政権のもと、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫と並んで、いわゆる「三角大福中」の一角をなし、「ポスト佐藤」の候補として党内の実力者のひとりに数えられるようになりました。
    昭和57年11月、自民党の総裁予備選挙で河本敏夫氏、安倍晋太郎氏、中川一郎氏を抑えて第71代の内閣総理大臣に就任し、「戦後政治の総決算」を掲げて、懸案の解決を目指しました。
    昭和60年8月15日には、戦後の総理大臣として初めて、靖国神社に公式参拝しましたが、中国などから強い批判を受けそれ以降は参拝を見送りました。
    中曽根氏は行政改革などに尽力し、第2次臨時行政調査会、いわゆる「土光臨調」の土光敏夫氏と二人三脚で「増税なき財政再建」に取り組み、当時の「国鉄」、「電電公社」、「専売公社」の民営化に取り組みました。
    一方、外交面では総理大臣就任からまもない昭和58年1月に、当時関係がぎくしゃくしていた韓国を訪れて関係改善に道筋をつけて、そのままアメリカを訪問し、レーガン大統領との間で強固な信頼関係を築きました。
    互いを「ロン」「ヤス」と呼び合うレーガン大統領との関係は、中曽根外交の基盤となり、昭和58年11月にレーガン大統領が日本を訪れた際には、東京・日の出町のみずからの別荘「日の出山荘」でもてなし、中曽根氏がほら貝を吹く姿も話題になりました。
    昭和60年3月には、旧ソビエトのチェルネンコ書記長の葬儀を利用して、ゴルバチョフ新書記長との首脳会談も実現させました。
    一方中曽根氏は、私的な諮問機関を設けることで、大統領型のトップダウン政治を目指したほか、日米貿易摩擦をめぐる記者会見では、みずからグラフを指し示したり、水泳や座禅をする様子を公開したりするなど、パフォーマンスのうまさでも知られました。
    昭和61年には、「*だふり解散」、「ねたふり解散」とも呼ばれる、衆参同日選挙を行い勝利を収め、党総裁としての任期が1年延長されました。
    しかし、昭和62年4月の統一地方選挙で敗北し、みずからが目指していた売上税の導入を断念し、その年の10月には、当時「ニューリーダー」と呼ばれた、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の3氏の中から、竹下氏を後継総裁に指名し11月に退陣しました。
    中曽根氏の総理大臣としての在任期間は1806日と、当時としては異例の5年におよび、安倍、佐藤、吉田、小泉の4氏に次ぐ戦後5番目の長期政権となりました。

    総理大臣退任後リクルート問題で、平成元年5月に衆議院予算委員会で証人喚問を受け、党を離れましたが、2年後に復党しました。
    そして平成8年の衆議院選挙では、小選挙区制度の導入に伴い、当時の党執行部から比例代表の終身1位で処遇することを確約され、小選挙区での立候補を見送りました。
    翌年には大勲位菊花大綬章を受章したほか、国会議員在職50年の表彰も受けました。
    しかし、平成15年の衆議院選挙の際、当時の小泉総理大臣が、比例代表の73歳定年制の例外を認めず、中曽根氏は立候補を断念して56年に及ぶ国会議員としての活動に幕を閉じました。
    中曽根氏は政界引退後も、安全保障や国際交流のシンクタンクの会長を務め、内政や外交をめぐって積極的な発言を続け、みずからの心境を「くれてなお 命の限り 蝉しぐれ」と詠んでいます。
    とりわけ憲法改正には強い意欲を示し、新しい憲法の制定を目指す超党派の国会議員らでつくる団体の会長を務めてきたほか、おととし5月に出版した著書では、戦力の不保持などを定めた9条2項を改正し、自衛隊の存在を憲法に位置づけるべきだなどと提案しました。

    https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20191129/1000040854.html

    ※前スレ
    中曽根康弘元首相が死去 ★2
    https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1575002514/


    【【訃報】中曽根康弘元首相が死去】の続きを読む

    このページのトップヘ